どうも、あいうえです。
今日は貸借対照表(BS)を見るうえで欠かせないのれんの処理について考えを述べていきます。
米国の会計基準(USGAAP)及び国際会計基準(IFRS)がのれんの規則的な償却の再開を検討している今、古くからある論争の一つであるのれんの定期償却の是非はまたもやその姿を表舞台に表したように思います。
日本の会計基準は一貫してのれんの償却を支持しており、USGAAP・IFRSがのれんの償却を廃止してからもかたくなにその処理を行い続けてきました。
包括利益のリサイクリングなんかと違い(こう書くとリサイクリングに失礼ですが)、のれんの償却は日本が独自の会計処理を貫いている分野のなかでもPL及びBSに与える影響が非常に大きい分野であり、これについての基本的な論点の把握は投資家にとってそこそこ重要なことです。
なのでこの記事では主にのれんの償却を支持する視点からのれんについて語っていこうと思います。
1 「無形価値は毀損しない」の大きな間違い
のれん非償却派の人からはたまにこのような言説が聞かれます。
ブランドといった無形価値はそう簡単に毀損しないので、毀損したときに減損すればいいのであって定期償却するのは事実を正しく表していない(=少なくとも全部を償却するのは間違っている)
と。のれんのうち、どこまでが毀損する無形価値でどこまでが毀損しない無形価値なのかという線引きの問題はさておいて、ここでは買い入れ時に生じたのれんの全額をそのような毀損しないブランド価値であると仮定しましょう。
そうすればのれんの非償却は正当化されるのでしょうか?
いえ、私はそう思いません。
私からすれば、上記のような主張をしている人はその企業に存在している無形価値と、買い入れ時に生じた無形価値を混同しています。
確かに、その企業が持っているブランド価値といったようなものはきちんとメンテナンスをしてやればその価値が維持されるかもしれません。その結果生じた無形価値(のれん)は純資産と時価総額の差として現れるため、一般的な企業のPBRが1を超えていることからもわかります。*1
しかし買い入れ時に生じたのれんはそれと全く違うものです。
買い入れ時に生じたのれんは、基本的には上で述べたのれん(自己創設のれん)が買収という行為によって金銭的価値が与えられることによってBSに計上されます。そして、その買い入れのれんは必ずや償却されなければならないものです。
なぜなのでしょうか?
理由は簡単です。買い入れ時に生じたのれんというのが、買収先に期待する将来キャッシュフローによって価値を裏付けられている以上、買収先の企業のキャッシュフローが実現されるにつれ対応して費用計上しなければ理屈に合わないからです。
具体例で考えてみましょう。
純資産が100しかない企業を200で買えば100ののれんが生じますが、そもそも純資産が100しかない企業を200で買ってるのは、当該企業が200以上のキャッシュフローを生むことを期待しているからにほかなりません。ここでは、仮に300のキャッシュフローを期待しているのだとしましょう。
この場合、その企業が期待している利益は100ということになります。
そのことをPLで正しく表現するには、300のキャッシュフローが実現されるにつれ、のれんを償却という形で対応しなければなりません。
もし仮に、300のキャッシュフローを得た後で、企業努力や運などの何かしらの理由により将来300のキャッシュフローが追加的に得られることになったとしても、その追加的な300のキャッシュフローは企業の買い入れ時に期待されていたものではない以上、それをもってのれん100をBSに載せ続けるのならばそれは先にのべた自己創設のれんの計上になってしまします。すると結果として200の利益が計上されることになりますが、そのうちの100は明らかに普通の利益とは性質の違う、将来の利益の先取りになっています。
言い換えれば、当該企業を買収してから何年後かは知りませんが、当初に期待していたキャッシュフローが実現した時点で、買収先がその時点で保有している無形価値(のれん)の有無にかかわらず、買い入れ時に生じたのれんはすべてなくなっていなければならないのです。
そして当然ながら、当初に期待していたキャッシュフローの一部が実現したその時にも、それに対応させる形でのれんの一部を償却し費用計上しなければなりません。
2 のれんの償却方法問題
のれんの償却方法についても様々な論点がありますが、この記事で述べたいことは、償却方法が一意に定まらないことがのれんの償却それ自体を否定する材料になりえないということです。
そもそもからして、一般的な固定資産の償却ですら事実を完璧に表しているものではなく、あくまで定額、定率などの「公正妥当と考えられる」方法によって規則的に償却されているだけです。そのため結果的に償却不足、もしくは過大な償却によって経済的実態を正しく表せていないような自体は当然ありうるわけです。
そのうえで、のれんについてだけ「公正妥当な償却方法がわかりづらい」という理由で償却を否定するのは上記の処理と整合性がありません。
のれんについて、償却方法の限界によって過大な償却をしてしまったり、逆に償却不足となり結果的に自己創設のれんを計上することになってもそれは仕方のないことです。なぜなら一般的な固定資産の償却もそのような考えのもと作られているからです。
将来のキャッシュフローを期待して何かを買い、それを償却させていくという行為は同じであるのもかかわらず、固定資産は償却させ、のれんは償却させないというのは筋が通っていません。
さいごに:減損リスクはあまり本質的ではないと思う
IFRSやUSGAAPを作っているIASBやFASBは、のれんの償却をしないことにより突如大きな減損が投資家を襲うことを問題視してのれんの償却を検討しているようですが、個人的にそれはあまり本質的でないと思います。
のれんの償却は適切な利益計算、そして適切なBSの表示のためにするものであって、減損リスクを減らすためにするものではありません。(というより「減損リスクを減らすために」する償却なんてどこにもありません)
この記事の立場に立つと大きな減損の理由は基本的に償却不足になるわけですが、そのことを理解せずにただ単に「のれんがBSに占める割合が大きくなって大きな減損がでやすいから」のような単純な思考に立っているような気がしています。
まあ向こうの人は別の考えがあるのか、それともニュースメディアが適当に書いてるだけなのかもしれないので何とも言えませんが……。
お読みいただきありがとうございました。
*1:この段落で述べた「のれん」は一般的な会計の枠組みにおいてバランスシートに計上されることはありません。詳しいことは「自己創設のれん」でググるといいと思います