どうも、あいうえです。
今日は無責任であることが許される個人ブログらしく、自由な発想を基にした頭の体操をしてみようと思います。
いや、まぢ、マヂで、そんな真面目に論じているようなものではないので、読者の皆様もトンデモ理論を楽しむ感じでお願いします。
ということでテーマはお賃金のお話。
近頃ようやく、本当にようやく上向き始めたと言われている賃金ですが、しかし、その上がり方が著しく緩やかなものであることに異論を唱えることはもはや不可能でしょう。そして、賃金の上昇が緩いというのは程度の差こそあれ先進国全体に見られる現象です。
もちろん、そこに日本特有の原因を見出すことはできますし、実際に日本特有の原因というのはあるのでしょうが、本筋ではないのでここでは一旦置いておきましょう。
ところで、最近こんなリサーチペーパーが富士通総研から出されました。
とりあえず、これを読んでみてください。
ここはネット、どうせ皆様が読まないであろうことは百も承知なのですがそれでももう一度書きます、とりあえず読んでください。
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で、この記事ではこのリサーチペーパーの述べている内容がある程度正しいということを仮定します。
日夜を問わずネットで経済論争をしている皆様であれば、ナイアガラの滝顔負けの勢いで反論が頭の中にあふれているものと思われますが、それは一旦抑えてください。
とりあえず、このリサーチペーパーが述べている内容は、すべてではないもののある程度的を射ていると、そういうことにしましょう。お姉さんとの約束です。ちなみに私は男です。
このリサーチペーパーにおけるメインテーマは「デジタル革命により無償で得られるサービスが増えた結果消費者余剰をGDPでは測れなくなった」というものであることはリサーチペーパーを読んでくださった方にはわかると思うのですが、この記事ではこれを踏まえて以下の主張をしてみようと思います。
デジタル革命により無償で得られるサービスが増えた結果賃金は下落した。しかし、賃金が下落しようとも我々の幸福度は下落していないから全く持って無問題である。
……見えます、見えますとも、賃金が下落してもOKとかいう新自由主義すら軽く超越したこのトンデモ主張を前に怒り狂う皆様の姿が。特に、貧困問題に真摯に取り組んでいる方の怒髪が宇宙に達しているのが見えますとも。まあ、しかし、少しばかりお待ちくださいませ。
一応、この主張に至るまでの道筋を示しますから。
まずは、デジタル革命が賃金を抑え込んでいるという話をしましょう。
これはヘッジファンドの帝王とも呼ばれているレイダリオ氏が己の経済観を偉そうに語っているビデオなのですが、このビデオには幾度も登場する考えがあります。5:10前後から始まるセリフを抜き出してみましょう。
「支出が経済を押し上げるのです。ある人の支出は他の人の収入となるからです。考えてみてください、あなたの支出は誰かの所得となるのです。あなたが得る所得は誰かの出費です。」
これに似たセリフは幾度となくこの動画に登場しますし、本当に何度も繰り返されます。誰かがお金だすことで、誰かがお金を得るのです。
デジタル革命によって、消費者は支出をしなくてもサービスを得ることができるようになりました。
このブログだってそうです、支出をしなくてもこの記事を読めますし、皆様がどのような方法でこの記事にたどり着いたかは知りませんが、この記事にたどり着くにあたって何かしらの支出をした人は皆無でしょう。
であれば、だれかの所得が減るのは当然なのです。
考えてみてください、もし世界中の人々が余暇をすべてインターネットで済ましたらどうなるでしょうか?
ええ、飲食業や観光業に携わっている人々が失業するでしょうね。そして、彼らの失業によってあなたの所得が減るのです。彼らの所得が支出になり、それがあなたの所得になるのですから。
もしかしたらこのような主張をする人がいるかもしれません。
インターネット企業は広告で儲かってますと。サービスは無料で得られるかもしれないけれど、そこでは確かにお金が動いているのだから問題ないと。
しかし、そのような反論は先ほどのリサーチペーパーを読んでいない人がするものです。書かれていましたよね。
グーグルのチーフ・エコノミストを務めるハル・ヴァリアンによれば、2011年にグーグルが生み出した消費者余剰が1500億ドルに上ったのに対し、グーグルの広告収入は360億ドルだったと言う
http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/2018/2018-7-4.html
間違いなく、ネットサーフィンをすることで動くお金は、近くのアミューズメントパークに行くことで動くお金より少ないです。
極端な話になりますが、全員がYoutubeで休日を過ごす世界と全員が夢の国で休日を過ごす世界があったならば後者の方がより多くのお金が動きます。従ってそちらの世界の方が収入が高くなります。
グーグルが生み出した消費者余剰とグーグルの収入の差がまさにそれです。同じだけの消費者余剰を生み出すのに必要な支出(グーグルの収入に等しい)が減っているのならば、あなたの所得が伸び悩む、もしくは減少するのは当然なのです。
次に、賃金が伸び悩むどころか減ってもまったく問題ないという部分の説明です。
とはいえ、これも先ほどの話で実は片がついています。
Youtubeがある世界とない世界を仮定しましょう。
Youtubeがある世界においては、Youtubeがあることによりあなたの幸福度は向上します。
しかし、先ほども述べたようにYoutubeによってあなたの収入が伸びることはありません。なぜならあなたはYoutubeに対して支出をしていないからです。
もしかしたら収入が減るかもしれませんね。Youtubeがない世界においてしていた支出が、Youtubeのせいでなくなるのですから、あなたが支出をしないことによってあなたの所得は減ります。
しかし、Youtubeによる幸福度の向上が、Youtubeによる収入の減少を上回っている限りにおいて何ら問題ありません。
そして、現実世界に目を向けますと、新しいサービスの登場と共にインターネットのもたらす消費者余剰は拡大し続けています。そして、それを支出なしで享受すればするほど、あなたの収入は減り続けます。なぜなら、支出をしていないからです。
(正確にはスマホ代やら回線代やらがかかっていますが、それがインターネットより得ている消費者余剰よりもずっと小さい金額であることは明らかです)
では、それはいけないことなのでしょうか?
経済学の目的はしばしば経世済民であると言われます。
経世済民は「世の中の仕組みを理解し治めることで人々を苦しみから救う」というのがその意味であり、正確に言えば経済学とは関係がないのですが、字面が似ているのでよく使われます。
GDPの最大化でもありませんし、所得の最大化でもありません。経済厚生の最大化です。(GDPがしばしば使われるのは、経済厚生というものは直接には測れないものだからです)
であれば、経済厚生が拡大している限りにおいて私たちは賃金の下落などという数字を気にするべきではないのです。
さいごに
ということで、以上が私の行ってみた頭の体操でした。
要するに、お金を使わなくても経済厚生が拡大していく世界において賃金が下落するのは当然であるし問題でもない、と言った内容ですね。まあ、GDPという数字の意味合いを考えたら、富士通の総研のレポートからこの結論が導き出されるのは当然と言えば当然かもしれませんが。
まあ、個人ブログが楽しく妄想してみたくらいの内容でとらえていただければ幸いです。
その、これはあくまで衣食住に事足りている人にとっての話ですので、例えば収入が足りなくて衣食住が十分でないというような人に対してお前はインターネットによって莫大な消費者余剰を得ているのだから問題ない!といった主張をするつもりはありません。
あくまで頭の体操ですし、多くの経済理論と同様にこれが正しいというわけではありません。私自身だって別にこの記事で述べたことがすべて正しいとは思っていませんしね。
お読みいただきありがとうございました。
昔にこういう話をしていたりもしました。